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「見えない」ことを歌にかえて 生きる勇気をあたえる曲作り

盲目のシンガーソングライター 板橋かずゆきさん

生後4日で大変な高熱に見舞われ生死をさまよい、両足太ももへの注射により奇跡的に熱は下がったものの、3歳の時に緑内障が発覚。その後徐々に視力を失い、小学6年生でほとんど目が見えなくなってしまった板橋さん。人生を恨み自暴自棄になった時期もありましたが、それを乗り越え、導かれるように音楽の世界へ。13歳からギターを弾き始め、15歳の時には作詞作曲も行っていました。音楽に没頭していると心が軽くなるようで、目が見えないこととか、生まれてきた意味とか、そういう不安が吹き飛んでしまったそうです。

18歳の時に作曲した『ブラインドマン(盲目の人)』が、障がい者の国際音楽コンクール「第2回ゴールドコンサート(2005年)」で準グランプリを受賞。プロの音楽家への道を歩むきっかけとなりました。そして縁あって大物演歌歌手の川中美幸さんに気に入られ楽曲を提供し、作詞・作曲家としてメジャーデビューを果たしました。

板橋さんは音楽によって人生を救われました。明るく前向きな姿勢で、今度は聴いた人が生きる勇気をもらえるような曲作り・・・自分の音楽を聴いて救われたとか、誰かを助けることができたら良いな・・・と語ります。

ところで、皆さんは「FOP」という病気をご存じでしょうか。「進行性骨化性繊維異形成症」といって、全身の筋肉や靱帯が徐々に硬化して骨になってしまうという難病です。日本には60人~80人の患者さんがいます。完治させる治療法はまだ無いのですが、原因となる遺伝子の変化はわかってきているところです。

板橋さんは『華』という曲の作詞をしていただいた、青森県の平田和実さんという患者さんを通してこの病気を知りました。一方、兵庫県の山本育海さんという患者さんが、IPS細胞研究所に治療法の研究のため細胞を提供するとともに、募金活動を行っています。この支援として板橋さんが行っているのが『華』募金。皆様のご協力をお願いいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=F5ZnntLTE78

難病FOP支援チャリティーライブ

板橋かずゆきさん
1970年青森県生まれ。視力が弱く6歳で親元を離れ、青森県立盲学校に入学。その後、さらに視力を失い不安定な日々を送る中、友人からの誘いでバンド活動を始め、作詞作曲も手がけるように。2005年、「第2回ゴールドコンサート」で準グランプリにあたる歌唱賞を受賞。これを機に依頼が殺到し、年間100本を超えるライブ・講演を開催。2017年演歌歌手・川中美幸さんのCDシングル「津軽さくら物語」で作曲家としてメジャーデビュー。
http://www.itakazu.com/

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