一昨年の東京パラリンピック閉会式、感動的なフィナーレの場面でトリを務めたRIMIさん。SDGsの取り組みが進む現在、音楽に合わせ、手話や全身の動きで楽曲の世界観を表現する手話パフォーマーとして注目を集めています。高音が聞こえず、言葉が聞き取りづらい先天的な聴覚障がい者として手話と出会い、舞台に立つという幼い頃からの夢を叶えたRIMIさんにお話を伺いました。
『私が自分の障がいを意識したのは小学校に入ってから。小学校1年生の時に病院に行ってみようとなり、診断結果は「奇形難聴障がい」。生まれつき耳の内部構造の一部分が欠けている障がいです。低い音は一般の方並みに聞こえるものの、高い音は聞こえず、言葉の区別ができません。そこから聴覚障がい者としての生活が始まりました。
この障がいのために子供の頃は差別やいじめも受けました。ただ、家ではいつもテレビに合わせて歌ったり、踊ったりしていたようなので、もともと明るい性格ではあったのでしょうね。小学校の卒業文集には「大きくなったら芸能人になりたい」と書いています。しかし当時は障がいを抱えた芸能人というのは見かけなかったので、心の中では諦めていました。
大人になってからも障がいが原因で仕事もすぐにクビになったりを繰り返しました。32歳の頃、結婚を機に仕事を辞めましたが、でも、この性格なので家でじっとしていられない(笑)。そんな折、「手話講習会」の新聞の折り込みチラシを見つけました。その時まで手話という存在を知らず、どんな世界なのだろうと行ってみたら、私よりはるかに耳の聞こえない方々が手話を使ってお話しながらイキイキとスタッフをしていたのです。それに衝撃を受けました。
手話を習い始めしばらくして、「耳の聞こえない人と聞こえる人が一緒に活動している団体がいくつかあるよ」と言われ連れて行ってもらった先が、聞こえない人も舞台に上がり、手話で歌って、踊って、演じているエンターテインメントのライブでした。私が小学校6年生の時に諦めた夢が、20年の時を経て目の前に現実のものとしてあったのです。その団体にすぐ所属し、「手話パフォーマー」を勉強させてもらいました。そこから1年半ほどで独立し、今に至ります。
多くの聴覚障がい者や難聴者に出会い、手話エンターテーメントの世界にカルチャーショックを受けました。手話を学ぶと同時に、人生の勉強となる日々を送ることになった私は、自信をもって演劇、手話歌の世界で活躍する輝く彼等に惹かれ、目覚めさせられたのです。小さい頃から唄い、演技やダンスを披露するミュージカルに憧れていた私。「障がいだからできない」ではなく、「障がいだからできる!」と気が付いたことで生きることに自信がつき、人生が大きく変わってきたのです。』
RIMI さん
本名:長井利美。1963年東京都出身。生まれながらにして奇形難聴障がいを持つ。小さい頃から歌うこと、演じることに夢を持ち続け、現在は手話パフォーマーとして活動。舞台に立つ傍ら障がい、健常問わずエンターテーメントの分野で手話コーディネーター・プロデュースも行う。2021年、東京パラリンピック閉会式では手話パフォーマーとしてトリを務める。父は昭和40年代に中高生を中心に一世を風靡した「マジソンバッグ」のデザインを手掛けた長井恒高氏。
公式YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@rimi9495