「仏道をならうというは、自己をならうなり」道元禅師の言葉です。自らを立て自立となりますが、果たして本来の自己はどこにあるのでしょう。人と比べてばかりの自己、人から褒められたい、認められたいと思うばかりの自己。そのいずれの中にも自己はありますが、本来の自己は苦難、挫折、失敗の中にこそ見つけられるものです。そして大切な人、大切なつながり、人の優しさ、心のこもった一言から人は目覚めます。目覚めて、歩むべき道に戻ります。
また、親鸞にして自らを「迷いと欲望の固まりの凡人」と表現します。卑屈にも傲慢にもならないように自らを否定し、また肯定し心の角を丸くし自らを立てているように感じます。人生の波風も嵐でさえも時はしずかに過ぎて行きます。過去を見ればあの時あのことがあって今があると分かります。
※タイトルの高橋元吉の詩は、相田みつをが自らの作品以外で書き写した詩とされます。