哲学者、池田晶子は私たちにこう問いかけます。“「人生いかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。”
私たちの周囲を見渡すと「わからないこと」と、「いかに生きるか」があふれ息苦しささえ覚えます。わからなければ、わかるようになるまで考え、間違っていたとしても、立ち止まり考え続ければ良いはずです。答えが出なくても時間はあります。考えることを忘れても良いかもしれません。人生をいかに生きるかもまた同じように、答えを求めず考えていくことが大切なように思います。
「不思議」という仏教用語は、思い計ってはいけないこと、わかりやすく言葉を変えられると思っても議論してもいけないこととなります。世界は不思議で満ちあふれ、今にも私たちに答えを迫るような様子です。何も心配せずに考え続け、考えていたことすら忘れた時にふと答えが出るはずです。